言わずもがな自国の歴史について学ぶことは大切ですよね。最近歴史書を少し読んでいるので、今回は歴史についての記事です。ちなみに写真はつくばにある平沢官衙遺跡(奈良・平安時代の遺跡)です。
歴史が面白いのは、ほとんどの出来事において何が本当に起きたのかということを知ることができないこと。例えば10年前とか50年前に起きたことだって真相が分からないことはたくさんあるわけです。
なおさら古代史については真相が分からないことばかりではなでしょうか。だからこそいろんな説があって、逆に面白い時代ではあります。
最近はそんなミステリー満載の古墳時代、飛鳥時代、奈良時代の歴史書を読み返しています。古墳時代は資料が限られてきているので様々な説がありますが、飛鳥時代以降はいっきに情報が増えてきます。
今回いくつかの本を読むなかで、なぜ、をたくさん考えながら読みました。そして自分なりに、なぜ、の答えが分からない時はいくつかの本を読み比べて自分なりの答え見出す作業をしてみました。その結果、今まであまり感じなかった以下の気付きがありました。
- それぞれの時代の為政者達はロジカル、現実的に物事をきちんと考えてきたこと
- そしてほとんどの為政者が国のために尽くしてきたこと
- 日本列島は常に緊張の連続で、現在の国の形があるのは奇跡的ともいえること
例えば、飛鳥時代から奈良時代へ切り替わる時代の大きな出来事として壬申の乱があります。、教科書的な説明は、天智天皇の後継者争いが原因となった天智天尾の息子大友皇子と、天智天皇の弟の大海人皇子との戦いで、大海人皇子が勝ち、その後即位し天武天皇となった、という感じです。
教科書にはそのように書いてありますが、他の説もたくさんあり例えば「逆説の歴史」シリーズなどを読むと天智天皇は天武派により暗殺されたという説などあります。そして天武天皇は天智天皇の弟ではなく、異父兄弟の兄であったとされています。
また単純に考えると天智天皇を暗殺した天武天皇が悪者のように思えてもしまいますが、飛鳥時代末期の複雑な事体背景、特に中国唐、韓国新羅との外交政策が密接に関係していたとも言われてます。どちらの側にも正義や大義があったのでしょうが、天武天皇が政権をとったことにより、日本の独立を守ることのできる外交政策に移行できたとも理解されている出来事です。
教科書を読むと、醜い権力争いだな、ぐらい安易に思ってしまう箇所かもしれませんが、なぜそのような出来事が起こったかを調べるときちんとロジカルに、辻褄のある理解ができます。
それにしても日本の歴史は長く、そしてなんとも壮大です。私の理解もまだまだ浅いですが、自国民でさえも、日本の歴史を深く理解している人は少ないのではないでしょうか。
通訳案内士の歴史の勉強に合わせて、楽しく今まで以上に掘り下げて日本の歴史を学びなおしていこうと思います。