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天草で感じたクリスチャンの歴史

 熊本県の天草に行く機会がありましたので、今回はその感想です。

 

 一番の気付きとしては、日本のクリスチャンも実は500年ぐらいの長い歴史があるということでした。

 

 現在の多くの日本におけるキリスト教は、戦後の布教から信徒の数が広まっている宗派がほとんどです。私の集っている教会も戦前にも存在していましたが、本格的に日本での広まりを見せたのは戦後からです。なので日本のキリスト教会の歴史は半世紀を超えたぐらいという感覚がありました。

 

 しかしながら今回天草の16世紀以降のクリスチャン文化についていろいろと見たりして、実は500年ぐらいの長い歴史があるのだなと体感しました。

 

 またいろいろと不思議に思うこともありました。なぜ16世紀にキリスト教は日本において広がりをみせたのか?今までは単なる流行りだった部分が大きいのかと思っていましたが、キリシタン大名、小西行長などの生き様や、天草の隠れキリシタンの信仰を考えると、キリスト教の教義を本当に信じていたんだろうと感じました。

 

 特に天草の隠れキリシタンの執念(?)はすごくて、禁教後は表向きはみんな棄教したことになっていましたが、半数以上は隠れキリシタンだったというのです。

 

 それだけキリスト教の教義には人が求めるものがあったのでしょう。それは私自身がクリスチャンとして理解できることではあります。

 

 でも明治以降、禁教が解かれ、一部で広がりを見せたものの本格的には日本では広まらなかったというのも不思議な感じです。

 

 ともあれ同じクリスチャンとして、はるか昔の天草のキリシタンの人達と通じるものを感じました。また直接的な影響はないかもしれませんが、今私がこうしてクリスチャンといていられることも、ことような先代たちと努力や犠牲にがあったからかもしれません。

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